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杉村 篤 -軌跡- since 2011-07-21

◆1957年 貸本まんが時代

1957年(S,32)

東京- むさしの漫画プロダクションスタート

1960年春 新大久保にて中城、永島、杉村、安松中城健雄、永島慎二、杉村篤、安松健夫翌年、高知から中城健雄、安松健夫が上京して東京で合流。晴れて<むさしの漫画プロダクション>が5人でスタートを切る。
1957年9月 この年東京タワー建設作業が始まる。

のむさしの漫ぷろだくしょんのメンバー達

永島慎二描く当時(1958)のむさしの漫画ぷろだくしょんのメンバー達

初台の手塚治虫さん宅で

初台の手塚治虫さん宅で前列:左から杉村篤、石川球太、永島慎二、笹川ひろし後列 手塚治虫

1958年~

貸本まんが家活動時代

左:杉村篤 右:原征太郎左:杉村篤 右:原征太郎貸本まんが「水色のランドセル」1958年(S,33) 島村出版刊
貸本まんが「大都会の谷間」1958年(S,33) 島村出版刊
貸本まんが「ボクちゃん」1959年(S,34) 島村出版刊
貸本まんが「黒い太陽」1959年(S,34) 秋田書店刊 冒険王付録
少女マンガは(杉村あつよし)少年マンガは(コン・太郎、、コン・タロー)名義で「むさしの漫画プロダクション作品」として発表。
以降、ジャンルを問わず、幼年物、少女物、少年物(幼年ブック、漫画王、冒険王、おもしろブック、痛快ブック、野球少年、少年、少女、少女クラブ、りぼん、少年マガジン、学研の学習雑誌)等々に読み切り連載マンガを描く。

貸本マンガは主に「黒い影」「刑事[デカ]」(三洋社)「罠」「Gメン」(東京トップ社)を舞台に執筆。「Gメン」ではコン・太郎以外に夜来狂一[やらい きょういち]の名でミステリーコントも書いた。
「Gメン」は創刊当初より永島慎二と共に編集。
「冒険児A」 [ぼうけんじ エース] 光文社刊 月刊誌「「少年」連載
「こじきの大将」 講談社刊 少年マガジン連載
「がめつい君」 秋田書店刊 冒険王連載

冒険児A冒険児A黒い太陽黒い太陽黒い影黒い影

1963年~

連作カートゥン「蝕」 制作

「ミスターロンちゃん」 3年の学習連載

連作カートゥン<蝕> 制作。40枚の連作。
(未発表作品)この頃より一枚物の大人向けの作品を雑誌に発表する様になる。

連作カートゥン「蝕」連作カートゥン「蝕」連作カートゥン「蝕」-死の革命連作カートゥン「蝕」-死の革命連作カートゥン「蝕」-自己卑下連作カートゥン「蝕」-自己卑下
連作カートゥン「蝕」-ヴィーナス誕生連作カートゥン「蝕」-ヴィーナス誕生連作カートゥン「蝕」-虚栄心連作カートゥン「蝕」-虚栄心連作カートゥン「蝕」-ナルシスト連作カートゥン「蝕」-ナルシスト

現在

<THE SHARAKU WORLD> 展開催の為、制作準備中。
協賛、サポート企業募集中!
是非ご一報ください。!!

HISTORY インデックス▼

1945年~1954年小中高校時代

高校生時代メイン.jpg

高知県小・中学校時代。精力的にマンガ投稿をはじめる
高知県高校時代。高校生プロデビューを果たす

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1957年~貸本まんが時代

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いよいよ東京へ上京・・・。貸本マンガの漫画家となる。

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1964年~イラストレーション時代1

1964年EQMM時代

大人向けイラストレーションに移行。代表作「ドン・キホーテ」銀賞受賞

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1969年~イラストレーション時代2

女番長野良猫ロックより

サイケデリックアート、文庫カバー・イラストレーション制作

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1989年~N.Yイーストビレッジ時代

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ジャズ・インプロビゼイションの刺激をうけ、現代ARTにどっぷり浸る。

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1992年~N.Y 現代ART時代

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写楽、北斎、歌麿、等をモティーフに現代ARTを制作

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2003年~東京 現代ART時代

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活動拠点を再び東京に戻し、「浮世絵」現代ARTを制作

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